スピ化が止まらないアラフォー日記

マインドフルネス、瞑想、易経、心理学、脳科学、幸福論…etc、色々研究しています。

飾りは飾り。飾りたてて美しく見せようとも本質でなければ大きな利は得られない

拝啓、お元気ですか? 

 

易経にはまりつつある今日この頃。

 

朝、易占をして

大いなるエネルギーから受け取る今日一日のお告げを

自分の潜在意識を通じて聞いてみました。

 

 

 

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本日の卦は

21.火雷噬嚙(ひらいぜいごう)

旧字体で出てきませんでした。正しい字は上の写真をご覧ください

 

噬嚙は、亨る。獄を用うるに利あり

ぜいごうはとおる。ごくをもちうるにりあり。 

 

噬嚙とは口の中の異物を噛み砕くことを意味します。

 

ここからこの卦が意味するのは

 

噬嚙は、亨る。

内部をかき乱すもの、内側の不純物を除去し、断固粉砕、取り除かなければならない。

除去することにより願い事は叶う。

 

 

何か心中に引っかかっている問題、自分の障害となるものは取り除くか鎮めなければならない。ということを示唆しています。

 

獄を用うるに利あり。

刑罰に処すと、物事はうまく運ぶ。

 

 

ここでいう刑罰とは厳刑、つまり徹底して厳しく対応しなさいと言っています。 

そうすれば物事はうまくいきますよ、と。

 

こんなお告げが出たものだから、

改めて、自分にとって心中にひっかかっている問題、自分にとっての障害、何があるかと考えてみました。

 

ここだけの話。

 

私が運営面でお手伝いしている教育団体、私はすっかりその団体を設立した先生が、研究を積み重ねてそのメソッドを開発したのかと思いきや…。

実は他人が開発したメソッドだったのです。

 

別に開発者は誰でもいいのです。

 

ただ、私が引っかかっているのは、それを自分が開発したかのように見せ、創始者として振舞っているのが、こりゃマズイんじゃないかなと。

 

著作権とか大丈夫?

虚偽表示にならない?

 

つまり世間を欺いていますよね、と思ってしまうわけです。

 

私もさすがに心配になって聞いたことがあるのですが

「このメソッドの無断利用は皆がやっていることだから」

「自由に使っていいよと言われているから」

とノラリクラリと適当にごまかすばかり。

 

その時は「そうなんですね」とそれ以上はツッコミませんでしたが、よくよく調べてみるとやはりそのメソッドを使ってビジネスをするには何らかの契約が必要そう。

 

ずーっとこれは喉元にひっかかっている問題なんですよねー。

どうしたものかなぁーと。

そもそも私がとやかくいう問題でもないような。

 

もし何か聞かれたら、倫理的で誠実な対応をするように助言するけれど、当の本人は断固としてごまかし通すつもりみたいだし。。。

 

私も基本的にはお節介だから、問題だと気づいたら思わず余計な助言をしてしまうのですよ。

ダメなんですよね〜。

助言好きのお節介さんになりがち。

 

ただ、経験を重ねてこの歳になってようやく気づいたのです。(気付くの遅い)

 

求められていない助言は煙たがられるだけ

 

こちらが良かれと思ってても、相手が必要としていない時に助言すれば、相手は聞く耳を持たず、「余計なお世話!ほっといてくれ!」となるだけ。

それで関係が悪くなるだけ。

必要としていない相手にアドバイスしても無駄なんだな〜と。

 

というわけで、この問題に対して私は静観しているのですが、

なんとこの易のお告げには続きがありました。

 

変卦が

22.山火賁(さんかひ)


賁は亨る。小しく往くところあるに利あり。
ひはとおる。すこしゆくところあるにりあり。


賁(ひ)とは飾りを意味します。

要約するとこうでしょうか。

 

賁(ひ)はいかに華やいでも所詮飾りは飾りであって、実質でも本質でもない。

内容を伴わない見せかけとか虚飾であるが、しかし飾りは時に実質以上に見栄えを高める効果がある。

ですから「亨る」、つまり願い事は叶う。

しかし所詮”飾り”であるのだから、いずれはメッキが剥がれる。

飾りの美しさに惑わされて、過大な期待はかけない方が良い。

そして願いは叶うにしても「小しく往く」、つまり小さい利を得るにしかない。

 

本当にそのとおり。

その先生は飾りたててはいるものの、実質でも本質でもありません。

 

話を聞いていると「あぁ、この方は話は面白いのだけど、おそらく本質を分かっていらっしゃらないんだろうなー」と気づいてしまうのです。

 

おそらく飾られてはいるものの、実質、本質を追求し、伝えているわけではないので、そのうちメッキが剥がれるのかもしれません。

そして結局は小さな利を得るに止まると。

 

今回の卦はそれを暗示するものでした。