「悟り」から考える心と魂の関係
拝啓、お元気ですか?
前回の「悟り」の話の続きです。
皆さんは瞑想とかされますか?
あれは思考を無にして大いなるエネルギーと繋がる、「悟り」状態に近く良いトレーニングだと思います。
瞑想をする方法として「無になる」とよく言いますよね?
目を閉じて、
リラックスし、
何か思考が芽生えても流し、
自分の呼吸に集中し、
心を澄ませて
いわば「無」になるトレーニングです。
心を無くして、魂だけになるトレーニング。
それが瞑想です。
人の心と魂って図にするとこんな感じだと思うのです。
私たちは肉体があり、そこに魂が宿り、成長するにつれて心が育ってくる。
心は「欲求、感情、言語的思考」の3つから成り立ちます。
つまり
・求める心
・感じる心
・考え語る心
最後の言語的思考とは、簡単に言うと言語を使って頭の中で情報を処理する内的情報処理能力を言います(余計わからなくなった?)
これは人間ならではのもので人間以外の動物にはありません。
言語的思考が欲求や感情といった無意識に起きる動物的反応を調整し、意識的に心や行動をコントロールするのです。
しかし私たちはこの言語的思考が大きくなりすぎる傾向にあり、
よく「思考の袋小路」に入ってしまいます。
そうなると澄んだ魂を覆い尽くし、
本来なら感じ取ることができるはずの
「大いなるエネルギー」に繋がることができなくなってしまう。
瞑想とは心を無にするトレーニング、
つまり澄んだ存在となって、
魂が大いなるエネルギーと繋がりやすくなるトレーニングです。
私が瞑想するときはこう意識しています。
「魂が大いなるエネルギーと繋がりますように」
どうでしょう?瞑想の本質的な意味をご理解いただけたでしょうか?
またまたスピリチュアルっぽい話となってしまいましたが、
少しでも皆様の心に伝わればと思います😌