スピ化が止まらないアラフォー日記

マインドフルネス、瞑想、易経、心理学、脳科学、幸福論…etc、色々研究しています。

瞑想で自我から解放されよう!

拝啓、お元気ですか?

 

前回、自分の自我が自分を不幸にするのでは…と書きました。

kei-nakano.hatenablog.com

 

そして、今日はできるだけ分かりやすく自我を手放すことの意味を伝えたいと思います。

 

これはヨガ哲学や仏教など東洋思想の教えですが、私たちの根源的な存在として魂があります。その魂が私たちの肉体に宿り、思考、感情、欲望、価値観といった自我(エゴ)が形成され、自我が魂の周囲をまとっていると言われています。

 

私たちは魂、身体、自我(心も含む)、この3つから成り立っているのですね。

 

私たちが普段あまり意識せずに持っている思考、感情、欲望、価値観…これらの自我(エゴ)をすべて手放した時、その時はじめて私たちの真っさらな魂という姿が現れます。これが仏教でいうところの「無」です。

 

自我から解放され、魂だけの「無」の状態になった時、私たちは大いなる存在(神とでもいいましょうか)とつながることが出来ると言われています。そして大いなる存在と繋がった時、私たちの魂は平穏の中に包まれ、言葉では言い表しようのない究極の安心感、幸福感に満たされるのです。

 

この究極の状態になるために行うのが、昔から行われている仏教の修行であったり瞑想だったりします。

 

私は「自分の自我が自分を不幸にしているのでは」と気づいてから、瞑想をするようになりました。自分の自我を少しでも減らすために。

 

以前、瞑想とは単なるリラックス法だと思っていた時は、その効果はあまりよく分からなかったのですが、瞑想とは自我を手放して魂と肉体だけの「無」の状態になることだと理解した時、それは究極の幸福感に包まれる方法となりました。

 

もしあなたが自我によって辛い思いをしているなら、瞑想をおすすめします。

 

まずは自分の呼吸に意識をむけてみましょう。呼吸によって空気が体内に取り入れられ、肺に行きわたり、血液が酸素を全身に運んでいく…そんな自分の生命活動に意識を集中してみてください。心臓の鼓動を感じるかもしれません。

 

そして自我を手放していきましょう。自分の思考、価値観、感情、そういった心に湧き上がってくるものすべてを手放していきましょう。

 

もちろん、思考が沸き上がってくるのは当然です。人間は思考の動物ですから。それでいいのです。ただ、その思考を「私は今こんな考えにとらわれているな〜」と、そっと受け入れ流してあげてください。思考に囚われてがんじがらめにならないように。優しく受け流してあげてください。

 

自我を手放し、自分の生命活動だけに意識を向けていると、私たちの意識は深〜く静かな世界に入っていきます。意識がどんどん深く静かなところへ落ちていく感じ。そして遂にその時はやってきます。

 

シーーーーーーーーン。

 

シーーーンとして何も聞こえない、本当に静かで、まるで深い海の中にいるような静寂に包まれます。フワフワと深海を漂っているような、そんな心地よい感じ。そこにはまったく音がなく、どこまでも静寂に包まれた「無」の世界があります。

 

そして自我を手放し、魂だけの本当の「無」の状態になった時、大いなる存在とつながるという意味がこの時はじめて分かると思います。なんという安らぎなんでしょう!自我から解放され魂だけの状態になった時、私達は大いなる存在を感じることができ、究極の安らぎを得ることが出来るのです。

 

初めてこの深い瞑想状態になった時、瞑想から覚めた私はあまりにもの安らぎに自然と涙が溢れ出しました。なんとも言えない幸福感、安堵感に感極まってしまって。

 

これが私が行き着いた瞑想です。とは言っても毎回無になれる訳ではありません。深いリラックスまでしか行き着かない時もありますし、「無」になるって本当に難しいのです。でも、それでいいのです。心は十分に安定するのですから。

 

余談ではありますが…

私が完全に「無」の状態に陥ると、愛犬が心配して慌てて私を起こしに来ます。何か動物的直感で様子が変だと感じ取るのでしょうか?もしかすると「無」の状態って仮死状態に近いのかもしれませんね(苦笑)

 

今日はそんな話を伝えたくて。ではでは。