スピ化が止まらないアラフォー日記

マインドフルネス、瞑想、易経、心理学、脳科学、幸福論…etc、色々研究しています。

なぜ人はネット上では批判的になるのだろう?

拝啓、お元気ですか?

 

この記事を読んで、確かにそうだよなぁーと思いました。

blog.tinect.jp

 

この記事を抜粋するとこう書かれています。

なぜネット上では皆、厳しい批評家になるのか?お店では「ありがとう」と言えるのに。ネット上では情報を得ているのに「ありがとう」とは言わずに「クソ面白くない」などと厳しい批評家になってしまう。たまには情報の恩恵を受けている立場であることを思い出して「ありがとう」と言いたい。

 

ハッとしませんか?これを読んで、確かに「いい情報をありがとう」とはあまり言っていない自分に気付かされました。

 

ネット上では厳しいことを平気で言えるわけ

ふと心理学の先生から教えてもらったことを思い出しました。人間には公的自己意識と私的自己意識があり、ネット上ではどうしても公的自己意識より私的自己意識の方が強くなってしまうそうです。だから平気で厳しい批判や意見を書けるのだと。

 

公的自己意識、私的自己意識とは何かと言いますと

私的自己意識とは「自分の内面的・個人的側面」を意識することであり、公的自己意識とは「他人から見た自分」を意識することをいいます。 もっと簡単に言いますと自分の感情や自分の考えを意識するのが「私的自己意識」で、他人が自分をどう思っているのかを意識するのが「公的自己意識」です。

失礼、用語の説明を長々としてしまいました(汗)本題に戻します。

 

結論から言いますと、ネット上で人は自分の考えや感情を意識する私的自己意識が強くなるため、相手にどう思われるかを考えずに厳しい意見や批判を言ってしまう傾向があるのです。確かにそう、リアルの世界では厳しいことを言う人はそんなにいないのに、ネット上では厳しい意見、批判的なコメントが溢れている。

 

こんなことを言ったらこの人傷つくだろうなぁと相手を思いやる気持ちよりも、自分の感情にまかせて自己主張をしたいという人が多いのは、ネットという匿名性のある特殊な環境により、他人から見た自分を意識する力が弱くなっているから。相手を傷つけているという他人の感情を推察する力が弱くなっているからです。

 

これはあおり運転にも当てはまる心理現象

この公的自己意識と私的自己意識の問題は、今よく問題になっている煽り運転にも当てはまるのではないでしょうか。急に乱暴な運転をしたり、嫌がらせのような運転をするのは、相手がどう思うかよりも自分の気持ちの方が勝っているからです。相手の顔が見えないから私的自己意識に脅かされてしまっている。

 

ネット上の思いやりのない意見・コメントといい、あおり運転といい、相手の顔が見えないことが原因の一つだと思います。おそらく相手の顔が見えれば、相手も感情がある一人の人間だということを意識するはず。

 

いくらネット上で相手の顔が見えないとは言え、やっぱり人は人。顔が見えないからといって相手に心がないわけではありません。単なる批判だと流すことはできますが、本心は正直ですから傷つきます。ネット上であっても常に他人を思いやる気持ちを持っていたいものです。そして、情報を提供してくれた人に「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えるようにしたい。これは自戒の意味も込めて。

 

今日はそんな話が伝えたくて。