自分に与えられた人生を他人と比較せずに生きるためには
拝啓、お元気ですか?
昨夜、東京に出てきている学生時代の先輩や後輩と同窓会でした。こういうイベントに参加するのは初めて。私はどこか「学生時代の自分とはもう違うのだから、もうあまり思い返したくない」そんな思いがあったのかもしれません。
皆…とても良い大人になってました。色々な人生のイベントを乗り越えて。
あんなに無邪気にヤンチャして、あまり将来のことも考えずに、勢いだけはあるものの、どこかフワフワ地に足つかなかった学生時代の仲間たち。
そんな子達が社長になってたり、3人の子供をもつ良きパパになってたり、フリーアナウンサーになってたり、歯医者になってたり。
皆、しっかりと自分の人生に向き合って、自分なりのストーリーを”地に足をつけて”生きていました。
それを見て、なんとも言えない「喜び」のようなものを感じました。
もしかすると若い時の私なら嫉妬したのかもしれません。自分と比べると、なんてマトモな立派な人生を歩んでいるのかと。でもきっと歳なんでしょうね〜。他人の生き方に素直にリスペクトできるようになりました(苦笑)
島倉千代子じゃないけど「人生色々」は本当にその通りで、皆、それぞれ悩みや喜びや色々抱えているけど、それでも自分の人生を「大真面目に」生きている。結果がどうなっているとかは関係なく、その「姿勢」が素晴らしいな〜と思ったのです。
名声や立場や成功しているかとか、そんな『Having / Doing』ではなく、どう人生に向き合っているか、その姿勢『Being』そのものが立派だと思いました。
人は他人の『Having / Doing』を意識が向くと、自分の『Having / doing』に意識がむいてしまって、自分の仕事はどうとか、自分は子供を産めなかったとか、そんな風に考えてしまって本来の自分を見失ってしまうのかもしれません。
また他人の評価も、そんな外側の体裁に捉われて左右されてしまうのかもしれません。あの人は社長だから立派だとか。医者として成功しているから立派だとか。
でも『Being』に意識が向くと。。。自分に対しても、他人に対しても、評価がガラっと変わります。その人自身の人生に対する「向き合い方」「あり方」を見るようになる。
結果、その人の根っこにある本質のようなもの見抜けるようになり、しょうもない外面には惑わされなくなると思うのですね。お恥ずかしいことに私は昔、他人の口先だけのポーズによく騙されましたが、そんなこともなくなりました。これは他人の『Being』を見るようになったからだと思います。
また自分自身に対しても然り。自分自身の本質を評価するようになる。
自分は人生に対して真摯に向き合っているか。他人に対して真摯に向き合っているか。仕事に対して真摯に向き合っているか。そういうところで自分を評価するようになる。そうしている限り自分を見失うことはありません。自分の人生を他人と比較することなく生きることができるようになります。
そして人生色々起きながらも、真摯に人生に向き合っているに自分に『YES』という事ができる。何にも惑わされない自分を信じる力、根底に『自芯』が生まれる。
きっとこれが自分に与えられた人生を惑わされずに生きる秘訣なんだろうな〜と、昨夜の同窓会を通じて感じたのでした。