「絶対的自信」=自分に無条件でいよう
拝啓、お元気ですか?
とある友人が「私は中途半端だ」と言うのです。その友人は子供も3人、立派に育て上げたと言うのに。でも自分が生きてきた人生に自信を持てないでいる。
なぜ?私なりに考えてみました。
彼女は専業主婦。20代前半で結婚、子供を3人授かり、これまで家族のためによく尽くし、支え、立派に育て上げてきました。色々と大変なことも多かったと思います。そんな子供の手が離れてきた今、ふと我が人生を振り返り、自分はなんて中途半端なやつなんだと自信を無くしている理由。それは、彼女が社会から評価を受けていないからかもしれません。
厳密にいうと彼女は専業主婦、彼女の価値を評価するのは家族だけだからです。社会に出ていれば上司、顧客等、社会から何らかの評価があります。自分が師事したことに対してのフィードバックがあり、そこに自分の価値を見出すことができる。しかし、専業主婦というのは家族という自分の大切な存在のためだけに師事する仕事。それに対してフィードバックができるのは家族だけです。
もし、家族がなんのフィードバックもせずに=感謝の意を示さずにいたとしたら…自分の価値を見出せなくなるのは容易に想像できますよね。自分は大して役にも立たない人間だと。
専業主婦になって、社会との繋がりがなくなると、自分が何も貢献していないような気がしたり、自分の人生がつまらないものに思えたり、自分の価値を低く感じるのはこのことが原因かもしれません。十分、家族に貢献しているというのに。
これは一度は社会に出て活躍し、そのあと専業主婦になった人であれば誰しもが通る道かもしれませんね。現に私もそうでした。
話は変わりますが「自信に根拠はいらない」とアドラー心理学で教わったことがあります。条件つきの自信はもろいとも。
高収入だから、営業成績がいいから、人より頭が良いから…といった根拠を理由に自信をもつと、その根拠が崩れた時に自信も無くしてしまう。そんなもろい自信なら持たない方がいい。生き辛くなるだけから。
自信とは「自分を信じる」と書きます。そもそも自分を信じるのになぜ根拠などいるの?無条件じゃダメなの?
私達は知らず知らずのうちに子供の頃から条件付きで評価されて生きてきました。
「大人しくして良い子ね〜」「お勉強して良い子ね〜」「残さず食べて良い子ね〜」といったように。
〇〇(条件)だから良い子(評価)。
〇〇(条件)だから悪い子(評価)。
大人になってからもそうです。
成績が良い(条件)から優秀(評価)
収入が良い(条件)から良い夫(評価)
料理がうまい(条件)から良い妻(評価)
私達は常に条件付きの評価にさらされて生きているのです。条件付きで育った子供は、他人の顔色、評価ばかりを気にするようになります。そして、自らも条件付きでしか人を判断できないような人間になってしまう。
あの人は高学歴(条件)だからきっと良い旦那(評価)になるだろう。
…といったように。
よくよく考えると、こんなに条件付きで評価ばかりされる世知辛い世の中です。せめて自分だけは自分を「無条件」でOKと言ってあげませんか。自分だけは自分を「無条件」で信じてあげてもいいのではないでしょうか。
先にも言いました。条件をつけると、その条件(根拠)が無くなればもろく崩れると。でも「無条件の自信」は何があったって崩れません。そもそも根拠がないので崩れる理由がない(笑)そう、これこそが「絶対的自信」!!
こんな条件付きで評価ばかりされる世の中ですもの、せめて自分くらいは無条件で自分をOKと言ってあげたい。無条件で自分を信じてあげたい。そしてそこから生まれる「絶対的自信」が、この世知辛い世の中を強く生きることにつながると思うのです。
今日はそんな話が伝えたくて。ではでは。